癌ですけど、いいですか?

癌でも、ふざけたことしたい。癌でも、爆笑したい。真面目なことも、馬鹿馬鹿しい事も全力でやりたい。いいですか?

入院9日目〜 神様は何でもできるけど、何かを叶えてくれることはしない。 でも、時々、背中をヨシヨシはしてくれる。

おやおや?トトロかしら?

f:id:ofcourseok:20210819072611j:plain


娘は幼い時

アホみたいにトトロを繰り返し見ていましたが、

私は子ども産んでからトトロをみるのがちょっとつらい。


私も子どもの時は何も考えずに見ました。

いーなー、猫バス、ふわふわでびゅーん

いーなー、トトロ、お腹ぽよんぽよん

いーなー、軽トラの後ろに乗ってかくれる

いーなー、川の水をバケツで汲む さいこー!


でも、子ども産んでから、見ると

「これ、めっちゃきつい状況じゃん」

です。


小さな体に、母親の病気への不安を

ぎゅーって押し込めて

周りの人に支えられながら、

祈り、

トトロにも支えてもらいつつ、

父親と笑顔の毎日をおくる。



昨日の夜の回診で廃液量があまり下がっていないことから、

退院は伸びるとの判断が出ました。

皐月とメイのママも一時退院が延期したねー。

ありゃー、ごめんよ娘たち。

トウモロコシが届いちゃうかしら〜。



心理学用語で「私は大丈夫」という気持ちを

基本的安定感というそうです。

極めて自己中心的で、「願いは叶うのだ!」という子どもの頃にある絶対的な万能感だそうです。

大人になってもこれに繋がっているものがありますよね。

日常的に死を意識して生活なんてしません。

車やバイク、飛行機に乗るのに

「私は大丈夫」

という気持ちがなければ誰も乗れない。

大切な心の一つです。


基本的安定感を

子どもが成長する際には

与えなければいけない。

これは、大人としての義務だと思ってます。


これは、お金を残すことより大事。

お金は本人が稼ぎ出すことができるけど、

幼少期の精神的な傷を自分で治すことは厳しい。


手術、入院という子どもにとって分かりやすい山場を超えた今、

私は最高の笑顔で子どもに前に出て、

「もう、大丈夫!あなたは、大丈夫!!」

を提供する。

たとえこれが、結果的に嘘になったとしても

提供すべきだと考えています。

再発や転移の可能性を今は伝える必要はない。

(少なくともそうなるまで時間が少しあるのだから、休憩ができる。)


ハゲるし具合悪くなるのもあったし、

子どもには告知した方が良いという考えに賛同して、

これ以上ないぐらいオープンに子どもに伝えてきました。


そのため、「ママどうなっちゃうんだろう」が頭の片隅にある状態が6ヶ月も。

子どもの6ヶ月は長い。

本当によく頑張った!


だから、

「もう〜大丈夫!!ママは死なない。あなたは安心して毎日を過ごせるぞ!」

をこれからは提供します。


目標は下の子が子どもが成人するまで

「ママは死にません。死ぬ予定、ありませんから。」

の提供。

それが達成できる確率とか、そんなの関係ないの。

理系だけど、統計学とか無視です。


「私、死ぬかもしれない〜」は

漏れ出さない。

(旦那には出す。めちゃくちゃ出す。笑)

子どもはよく見てるから、何となく感じちゃうとは思う。

だから私がまず、日常においては

「私ったら癌だわ」という意識を低くしていくし、漏れ出す絶対量を減らす。

そして、不安が来ていたら

「え?大丈夫よ。なに、ママ、死んじゃう感じする?」

と言葉でも繰り返し安心を提供したい。

(旦那にはぶつける。死んだらどうしよー!って笑)


病院は快適。

安静にできるし、栄養完璧なご飯出るし、

清潔な空間だし、医者がいる安心感も半端ない!

でも、自分が癌であることを意識させ続けられる空間。

「うかうかしてたら、生きてたね作戦」

に病院は向かない。



皐月とメイによる

母への祈りは

不思議な生き物の形となって

彼女たちを支えてくれた。


トトロはうちの娘にくるだろうか?

いやいや、もう祈らせないのだから、

トトロの必要はない。

一緒にトトロの映画を見て、

「ちょっと前のあんたたちじゃない!皐月のママも絶対良くなるね!」

と、彼女たちが安心できる毎日を送るのだ。



と、ここまで決意を書いたところで

よし!と顔を上げたら、

虹が出てました。

神様の粋な計らいに、涙です。

f:id:ofcourseok:20210819071343j:plain