握る手は、暖かい。
ジーラスタ、無罪!無罪です!!
と、半紙に書かれた無罪を持って走り回るべきでしょうか?
ジーラスタを打つ前日から、体が痛かったです。
つまり、ごめん、ジーラスタ、
君のせいじゃなかったのかも。
抗がん剤の副作用の筋肉痛と関節痛だったらしい。
とりあえず、ジーラスタうって、
早めに痛み止めを飲んで、寝るほかないので、
そそくさと、昼から布団に入っていたら、
プルルルルル〜 と電話。
「〇〇小学校ですけど、お嬢様が嘔吐なさいまして、今からお迎えお願いできますか〜?」
はいぃ〜。
ボロボロの長女を、
ボロボロの母親が迎えにいき、
タクシーに乗って帰りました。
発熱もなく、コロナではなさそう。良かった。
長女「ママが癌で良かった。こんなに早くお迎えに来てくれるから。笑」
↑これ、本気で言ってます。
先日も次女が虫眼鏡が欲しいとなり、
100均で買おうとしたら、旦那が
「いや、これはいいものを買おう」
と千円近くするものをわざわざ買った。
なんで、そんなのを買うのかと聞くと、
「これから、俺たちはこの虫眼鏡にメチャクチャお世話になるぞ。
よくドラマであるじゃん!
おじいちゃんが、おばあちゃんに虫眼鏡どこだ〜って聞くシーン。
あれだよ、あれ。」
↑これも、本気で言ってます。
私はやっぱり、癌から治りたいけど、
治るって強く期待するのが怖いんです。
そうならなかった時の落差が怖いというか。
「もしかしたらっていうこともある。」
と、どっかで、保険をかけているんだと思います。
でも、家族はありがたいことに、
治ると強く信じてくれていて、
治るから、「今、ちょうど家にママがいてラッキー」とか
治るから、「一緒におじいちゃんおばあちゃんになったら」とか。
ほんとにありがたい話なわけですよ。
一緒に戦ってくれるというのは、
頑張れって言ってくれることではなくて、
これから先の未来に、
私が当たり前にいると信じてくれることなんだなって
思ったわけです。
勝手に自分で自分にのせている不安を
ノーテンキな数々のお言葉で
パッパって払って貰えて、
本当に助かります。
「本当はどう思っていたの?」
と聞くのは10年後の楽しみにとっておくことにして、
ぶっ倒れた娘と
仲良く手を繋いで今日は寝ます。
夕方ですけど、お休みなさい。
次女よ、冷食で乗り切れ!